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会報

日本文芸家クラブでは、毎年2回、東京で行なわれる総会・懇親会の後、会報を発行しております。

ここでは、残念ながら、総会・懇親会に出席できなかった会員諸氏。訪れていただいた一般の方々に向け、会報の一部を紹介しています。

 

2009年新年会

【2009年新年会 元気を出して、活路を拓け!】

2009年1月28日、東京日本橋サリュコパンにて、平成21年度の新年会が開催された。  
懇親会に先立ち、総会が開かれた。  
物故会員への追悼が行なわれた後、役員改選の件についての報告があった。

《第一号議案 役員改選の承認》

平成20年8月26日、新宿ルノアール会議室において、8名の選挙管理委員により理事選挙の開票が行なわれ、同年9月29日に新理事による役員選出が行なわれた。また会則7条2項により、新理事5名を選出した。  
新組織の役員は、下記の通り。

会長 堂 昌一
理事長 志茂田景樹
副理事長 浅黄斑、初見良昭、龍一京
事務局 篠田英男
理事 藍川京、岩田健太朗、円つぶら、高木モトミツ、伊達一啓、田家阿希雄、所ゆきよし、内藤みか、番洋、マギー、松田順三、宮城賢秀、睦月影郎、山口香(五十音順)
監事 山田森一、吉村俊一
任 期 平成21年1月1日〜平成23年12月31日

総会出席者17名、総会委任状56名、計73名。

会則20条6項の規定により、会員の3分の1以上(委任状を含む:73/164)の出席を持って成立、承認された。  
各委員会委員長の選出については、後日、理事会で決定されることも、確認された。

第一号議案の討議終了後、その他案件について話し合われた。  
田家理事、藍川理事から、ゲストについての提案がなされた。  
初めて訪れたゲストの方が、寂しく帰られる姿をよく見かける。懇親会の時に自己紹介をしたらどうか。二次会を企画してはどうかなど、様々な意見が出される。  
現時点では、できるだけ会場内での声かけを活発にして親睦を図るように努め、後々、ゲストの方が、より溶け込みやすい企画なり方策を検討しようということになった。  
また、各理事より、年に一度、関係者が集う場なので、できるだけ懇談に割く時間を多く割り当てては、との意見が出された。今後、そういう方針で、懇親会を運営していこうという方針が確認された。

【懇親会の様子】

総会に引き続き、懇親会が催された。  
会場には、例年より多くの人が集まっていた。新しい顔ぶれも目立つ。  
午後六時を少し回った頃、篠田事務局長の掛け声で会は始まった。  
早速、志茂田理事長による挨拶が行なわれた。  
理事長は、長年、カラータイツを愛用されている。そのカラータイツが、去年あたりから女性の間で人気を博していた。それは、不吉の兆しではないかと危惧していたら、リーマンブラザーズの破綻、世界経済の混沌という事態が起こった。  
しかし、と、理事長はこう続けた。
「日本文芸家クラブの方々、ゲストの方々、編集者の方々、関係者の皆さん。こういう時代だからこそ、元気を出して、活路を拓いてほしい。元気が一番! 今宵は、心ゆくまで歓談を尽くしてください」  
理事長の言葉に、大きな拍手が沸き起こる。  
次に、堂会長による乾杯が行なわれた。
「みなさんの健康とお仕事の繁盛を祈って、乾杯!」  
あちこちで、グラスの重なる音が弾けた。  
乾杯後、すぐに大内氏による催しが行なわれた。エノケソとして一曲披露した後、神川仁氏によるバイオリン演歌が行なわれた。  
リクエストを受けながら、昔懐かしい昭和歌謡や演歌が、バイオリンの音と共に響き渡る。  
十分ほどのショーを終えた頃には、会場のあちこちで盛り上がりを見せていた。  
途中、初見氏紹介の木暮優治氏(クエスト)の挨拶が行なわれた。  
あとはひたすら、歓談の時間に充てられた。  
会場のあちこちで、会話に花を咲かせている姿が見て取れる。  
ゲストの方も、テーブルを囲んで様々な会員諸氏と接し、食事も会話も酒も進んでいるようだ。賑わいが途切れない。  
気がつけば、中締めの時間を迎えていた。  
初見副理事長が、こう結んだ。
「志茂田理事長の言われるように、人生、元気が一番。これからも元気にまいりましょう!」  
一本締めで手を打つ音が高らかと鳴り響き、懇親会は終了した。

【早乙女貢先生を忍んで……寄稿・堂昌一】

日本文芸家クラブを代表し、僭越ではありますが、謹んで、早乙女貢先生の御霊前にお別れの言葉を申し上げます。  
ちょっと昔のことで恐縮ですが、先生が静岡新聞に連載される『三郎信康』の挿絵を描くことになり、信康ゆかりの天竜、岡崎、静岡と取材に同行させてもらいました。  
夏の盛りを早乙女先生は、黒っぽい越後上布をきりりと着こなしていました。その颯爽とした後ろ姿に圧倒されました。  
帰りの車中、案内の記者が「先生は、終戦直後は何をなさっていましたか?」と何回も質問しました。  
先生のご返事は「無頼の徒」とたった一言。  
先生にとってはあまり愉快な質問でないことに気づかない、デリカシーのない記者さんでありました。  
去年十二月、東京スポーツ新聞に連載中の「剣豪列伝」。あと一人、二人、残っていましたが、先生の筆が進まないのは無理もありません。なにしろ「薩摩の示現流」と「人斬り中村半二郎」(桐野利秋)なのですから。  
「忍ぶ会」に集った大勢の人たち。冬桜に囲まれた等身大の和服姿の写真パネル。  
「士魂会」の皆さん、ご苦労さま。